#procon30 参加記

プロコンが終わって

この項目は高専プロコンが終わって写真撮影をしたのち、会場で書いています。

正直今の心境は少し複雑。

結果からいうと「うみまもる」で賞を取ることはできなかった。2日目のデモ審査でサーバが死んで、何も動かなかったのだ。

正直な話、「うみまもる」で賞が取れなかったのはそこまで悔しくない。詳しくは後述するが、プレゼンターをやらせてもらったり、チームで大会に出るということを経験することができたり、自分にとって実りあるプロコンにすることができたからだ。

じゃあ何が複雑なのかというと、自由部門で最優秀賞を獲得した東京高専の「Gulliver Blocks」のアイデアが、アイデア出しで切られたアイデアにそっくりだったのだ。

数多の切られたアイデアの中でもトップクラスで好きなアイデアだったこともあり、「あのアイデアが予選を通った」「結果として最優秀賞を取った」という2つの点で、自分のしたかったけど出来なかったアイデアが、で他の人が実績を獲得したのがとても悔しい。

もちろんアイデアを切った教授を責める気はない。仮にそのアイデアで企画書を出していれば、アイデアがかぶり、予選を通ることは難しかったかもしれないし、アイデアの内容的に、教授がサポートしきれずに結果を出せないことを考慮してくれた部分もあるだろう

ただ、どうしてもこのひたすらに悔しい気持ちを抑えることはできなかった。今日は友達と暴れて、このもやもやした気持ちを来年のリベンジへの活力に変えたいと思う。

 

プロコンを振り返る

ここからは、プロコンを終えて沖縄に帰ってきてから書いている。文の雰囲気が変わるかもしれないが許してほしい。

なお、このブログでは時系列順にあったことや反省点を話していきたいと思う。

 

チームの結成

正直いつだったか記憶にない。Paper見直してみたら2月ごろのアイデア出しのまとめが出てきたので、そのころにはアイデア出しを始めていたことが分かる。

消えたアイデアが山ほどあってとても悲しい気持ちになったが、来年に活かせないかなぁなんて考えている。

あと、完成に程遠かったころのプレゼンの添削がプロコンの7日前になっててとても恐ろしかった…

 

予選を通過する

その後、デッドラインに引っ掛かっているか、いないかというタイミングで教授の手が入りながらも、どうにかアイデアが出た。

ひぃひぃ言いながら新聞記事や素材を集めて、びーまか先輩がどうにかこうにか企画書を作りあげたのは鮮明に記憶に残っている。

企画書提出が終わった時、プロコン組のどのチームにも、予選で落ちるんじゃないかという空気感が漂っていた。

特にさやえんどうは、全員が普通に落ちると思っていたのではないだろうか。

だが、結果は良い意味で予想を裏切った。プロコンの全チームが予選を通過したのだ。

加えて、その後PCK組も予選を通過し、全チーム予選通過という快挙を達成した。

そんな喜ばしい空気のなか、さやえんどうは手放しで予選通過を喜ぶことができなかった。

うみまもるは水中音響通信を用いたシステムであり、企画書通りに再現することは非常に難しいのが現実だったのだが、審査員の評価は違った。

予選通過時の評価は全体で10番以内に入ったことを示す「A」評価。

さらに、他のチームが11~20番であることを示す「B」評価であったことから、沖縄高専の3つのチームの中で最も評価が高いシステムであった。

コメントの中には、「実現は難しくないと思われる」「実現可能性は高い」などのコメントが多く、チームの4人で審査員は何を見ているんだなどと文句を垂れていた。

 

開発

企画書が予選を通過したということは、しなければならないのは開発だ。

結論から言って私はきちんと開発に参加することができなかった。

機能を実装して、それを動かすメインコードを書いていなかったのだ。開発が初めてで、そういった基本がきちんと分かっていなかった。

Java先輩に仕事を投げつけたときには何もできてないってキレられた。

私の主観だけからいえば、もう少し色々と教えてくれても良かったのではと思いはあるが、自分から聞きにいかなかった時点で自分の責任だ。

次回以降はきちんと自分がしていることが、どの程度の段階なのか、今からどの段階に持っていけば良いのかをきちんと確認して開発をしたい。

あと、私がこの状況に陥った原因としては、びーまか先輩が言っていた「リーダができなかった」や、終わった時に教授から言われた「極度の縦割り」なども一因だろう。

来年以降、自分がリーダをしていても、していなくてもここは気にかけたいなと思う。

 

 プレゼン

お話変わってプレゼンの話になるんですが、合宿のころ辺りからびーまか先輩にプレゼンターやってみたいという話をしていました。それがきちんと決定したのがプロコンの3週間前くらいだったはずです。それだけなら「プレゼン初挑戦頑張ってな」で済んだはずなんですが、なんと他のチームメンバーへの報告が1.5週間前。Java先輩に怒られた。とても妥当な説教を食らったので、来年はここら辺の話は裏から手を回すでも良いから早めに話したい。

ただJava先輩は説教しながらも普通に許容してくれたし、投げ出した開発をどうにかしてくれたし、びーまか先輩にはプレゼンをとても助けてもらったしで、とても良い環境でプレゼンの準備をさせてもらいました。結果はついてこなかったけど、良い経験をさせてもらいました。

あと私がプレゼンをすることになんにも言わずにGOサインを出してくれたM教授、何の義務も利益も無いのにお手伝いをしてくれた妖精部門のりし先輩、なんだかんだ沢山のお手伝いをしてくれたあっちー先生。本当にありがとうございました。

来年プレゼンするかはわかりませんが、プロコンには出るので今年の経験は120%活かさせてもらいます。

 

プロコン当日

0日目

まず書かなけれないけないのは、那覇空港に待合所にスマホを忘れたこと。詳しくはネタ部門の方に書いたので詳しくはそちらを見てほしいのだが、来年以降も語り継がれるのかと思うと少し頭が痛い。*1

無事(?)スマホを忘れ、飛行機に乗り込み鹿児島へ飛び立った。飛行機の中では寝不足等々であまりプレゼンは触れなかったが、教授が大幅に添削をしてくれた。

割とこの添削を基に本番用の原稿が作られていたりするので大変助かった。ありがとう教授。

あと降りる時の揺れがすごくてウエハラが完全にグロッキーになってたのは記憶に残ってる。

鹿児島に到着してからは宮崎までバスで移動。バスで作業すると秒で吐くのは目に見えているので大人しくバスから見える景色を楽しんだ。高い場所に行っても海が見えないこととか竹林があることに一同感動しながら宮崎まで移動した。

私は寝不足もあって途中から少し気分が悪くなったので寝た。目が覚めると窓から見えるものが、田んぼからスーパー銭湯になっててビビった。

そんなこんなで泊まる旅館に到着。着いてそのままミーティングへ。部屋の大きさ的な問題で、さやえんどうの部屋がミーティング用の部屋になってしまう。言わずもがな2回目以降のミーティングではクッソ汚い部屋を晒すことになった。

ミーティングの後はお昼ご飯。私とびーまか先輩以外の3名はイオンへお昼ご飯を食べに行った。私とびーまか先輩はプレゼンの諸々をしたかったため、3名におつかいを頼んで部屋に残った。しばらくして帰ってきた3名は濱カツのカツ弁当を買ってきてくれた。とてもおいしかった。

この時、私たち2人以外のプロコンメンバーは(多分)外に食べに行っていて、意外とゆるゆるで楽しいなと思ったのを覚えている。 

その後、しばらく作業をして夕食もおつかいを頼んでお部屋で食べた。びーまか先輩が寿司を食べきれなくて残したのが印象的。あとこの間に生えた大量のハイライトはびーまか先輩がまとめているのでそちらを見ることをお勧めする。*2

夕飯を食べ終えてからはひたすらに原稿を書く作業。パワポをびーまか先輩に丸投げしてしまったのは大変反省している。

1時くらいに原稿が(一応)完成したので先輩に言われて唯一布団で就寝。したはずだったのだが、実はずっと寝れなくて起きてた。慣れない環境と、ストレス、あと普段スマホYouTube見ながら寝てるのにスマホを沖縄に忘れたなどが原因だろう。アホ。

結局3時前ごろに寝たはず。

1日目

その後びーまか先輩に頼んでた5時のアラームで飛び起きる。圧倒的寝不足と起きなければいけないという圧迫感からめっちゃ勢いよく起きた。心臓バックバクだった。そのあと6時まで半分寝ながら少しずつ頭を起こす。この時びーまか先輩がパワポを完成させてくれていたので、朝ご飯を食べてからはずっと原稿を覚える作業をしていた。一応開会式には行った。行かずに練習したほうが良かったかもしれないが、自分がプレゼンする場所を把握しておきたかったことと、自分の中でスイッチを入れたかったので開会式に参加した。

開会式の後は、ホテルに戻ってプレゼンの練習をした。能力的にプレゼンターの中で一番やばかったし、プレゼンも準備が十分とは言えなかったが、一番余裕があったんじゃないかと思う。(実際どうかは分からないが)

多分自分の中で、失敗しても賞が遠のくだけと割り切っていたのだろう。(チームには失礼な話だが)

プレゼンをさせてもらって分かったが、ここがある意味私の強みなのかもしれない。

先にプレゼンをしに会場に向かったウエハラを見送りつつ、ぶつぶつと部屋で原稿の内容をつぶやきながら練習を繰り返す。この間に何度か2tfが部屋を訪れる。この話はさやえんどうハイライトに書いてあるのでそちらを見てほしい。

あと日曜日だったので、仮面ライダーが放送してないかなと思ってテレビをつけたらやってなくてビビった。宮崎の子供は仮面ライダーを知らずに育つのか…

そんなこんなで時間がきたのでPCをもって会場に向かう。この時の心境はうろ覚えだが、不安を無理やり押しつぶしたみたいな感じだった気がする。

会場についてしばらくはベンチで練習していた。1.5回くらい通したところで時間が危なくなってきたので移動する。どこに行けば良いのか分からなくてチームメンバーのところに行ったが結構あたふたしてたので、ウエハラと一緒にどこに行けば良いのか迷った。この時ウエハラはすでにプレゼンが終わっていて、かつ成功したらしく晴れやかな顔をしていた。プレゼンの順番が逆じゃなくて良かったなと思う。

そんなこんなで会場のホールにたどり着く。緊張と不安と戦っていたけど、あまり外には出ていなかったんじゃないだろうか。外に出したら中から崩れるのは分かっていたので、外だけでも強気な姿勢を保っていた。孤独な戦いって感じでなんかかっこいいなぁみたいなことを考えていた記憶がある。

逆にあれだけしんどそうにしながらプレゼンをきちんとこなすウエハラは、とてもすごいなと思った。プレゼンに向かう時にびーまか先輩に泣きついてたウエハラと、完璧なプレゼンをしたウエハラは別人なんじゃないかとすら思う。本当にお疲れ様でした。来年のプロコンもプレゼンターをするだろうし、ビジコンにも出ると聞いたので、同期の端くれとしてもっともっと成長してほしいなと思います

それとあと一人のプレゼンターであるるいコ先輩は、待っている間の飄々とした姿を見て流石だなと思った。「あっぷるもんぶらん。」で見ていた時はプレゼンの前にしんどそうにしていたのが記憶にあるので、相当の努力したんだろうなと思った。自分のプレゼントが終わってすぐに出てしまったので生では見れませんでしたが、5年間の集大成とあってさすがでした。ベトナムでも頑張ってください。沖縄から応援しています。

話が逸れてしまったが、私のプレゼンに話を戻そう。

壇上に登ってPCの接続テストをして、壇上横でしばらく待ったあとすぐに呼ばれた。そのままPCを接続してプレゼンを始めた。今でもその時の緊張を覚えている。現にこの文を書いている手は少し震えている。

プレゼンを初めて最初のほうは焦って早口で話してしまったが、話しながら少しずつ平常心を取り戻して、だんだんとゆっくり話すことができるようになっていった。

途中で何度も噛んでは焦ったが、なんとか話すべき内容を話しきることができた。

質疑応答では、予想されてた質問がほとんどだったので落ち着いて答えることができた。

あとからmito先輩からはもうちょいマイナス面は黙ってても良かったかもと言われたのでそこは反省点。

正直ここからの1日目終了までの記憶がない。

他のブース周ったりうちのブースに来た人とお話した気がする。

今年はプレゼンとデモで精神すり減ってほとんど話せなかったから、来年はもっと積極的に話したいな。

あとこの日はプレゼンが終わった解放感で、宮崎来て初めて外食した。

この時誘った1年生女子組と少しだけ仲良くなれた気がする。

部屋に帰ってきてからはプレゼンが終わった解放感と疲れからテンションが壊れていた。

メタモンの歌みてにやにやしてたたら、Java先輩に「黙ってるだけで1番狂気」って言われた。

メタモンはかわいい。*3

あと無駄にテンションが上がっていたびーまか先輩と私は仕事も無いのに結構遅くまで起きてた。馬鹿だね。

2日目

2日目はびーまか先輩とデモで話す内容を軽く決めて会場に向かった。

連絡会が終わって設営をしたところで、アクシデントが発生した。

うみまもるが動かない

チームに一気に緊張感が漂った。

何が死んでるかも分からいなかどうにか動くようにと技術版が試行錯誤する。

結果的に分かったのはサーバが見たことのない死に方をしていること。

Jaba先輩が必死に復旧しようとPCを操作し続ける。

デモの時間が近づいてくるのを感じながら、全員が焦っていた。

 だが決死の努力もむなしくデモの時間が来てしまう。動かないシステムを前に、説明をしたがもちろん反応は良くなかった。システム自体に欠陥が多いうえ、動かないとなると審査員の顔が終始暗いのも当然だろう。

最終的にその後きたマニュアル審査も2度目のデモでもサーバが生き返ることはなかった。

2度目のデモ審査が終わった時に、つらそうな顔をしながらスッとその場を離れたJava先輩をみて心が痛んだのを覚えている。

そのあと会場を出るまでのことはあまり覚えていないし、あまり思い出したくもない。

多分冒頭の文が当時の心境を鮮明に表していると思うのでそっちを見てほしい。

会場を後にしてホテルに戻ってからはピザパーティーをしてずっとマリテニをしてた。

こっちはハイライトの方に詳しく書いていたはず。

3日目

神社に行って公園で遊んだ。バスの中でびーまか先輩とずっと反省会をしてた。以上。

あとn日ぶりにスマホと再会できた。

ごめんな私のiPhoneSE

総括

今回のプロコンは自分の中では30点。プレゼンにしぼれば50点といった感じ。

正直他のプレゼンター、チームが褒められているなか、あまり褒められなかった悔しさが多少ある。

ただ本当に悔しいのは、「開発にちゃんと参加できなかったこと」「スライドを作るのを投げ出したこと」「プレゼンできちんと伝わるしゃべり方ができなかったこと」「質問を完璧に答えられなかったこと」「チームとしてまとまれなかったこと」「チームで賞が1つも取れなかったこと」

こういうことが悔しかった。

この悔しさは来年に必ず活かしたい。

 

最後に

今回のプロコンで悔しい思いをしたし、チームにもうまく貢献できなかった、それでも私は自分に「あなたは頑張った」と胸を張って言いたい。

以上、「高専プロコンでふんどした #procon30 参加記」でした。ありがとうございました。