#procon30 参加記
プロコンが終わって
この項目は高専プロコンが終わって写真撮影をしたのち、会場で書いています。
正直今の心境は少し複雑。
結果からいうと「うみまもる」で賞を取ることはできなかった。2日目のデモ審査でサーバが死んで、何も動かなかったのだ。
正直な話、「うみまもる」で賞が取れなかったのはそこまで悔しくない。詳しくは後述するが、プレゼンターをやらせてもらったり、チームで大会に出るということを経験することができたり、自分にとって実りあるプロコンにすることができたからだ。
じゃあ何が複雑なのかというと、自由部門で最優秀賞を獲得した東京高専の「Gulliver Blocks」のアイデアが、アイデア出しで切られたアイデアにそっくりだったのだ。
数多の切られたアイデアの中でもトップクラスで好きなアイデアだったこともあり、「あのアイデアが予選を通った」「結果として最優秀賞を取った」という2つの点で、自分のしたかったけど出来なかったアイデアが、で他の人が実績を獲得したのがとても悔しい。
もちろんアイデアを切った教授を責める気はない。仮にそのアイデアで企画書を出していれば、アイデアがかぶり、予選を通ることは難しかったかもしれないし、アイデアの内容的に、教授がサポートしきれずに結果を出せないことを考慮してくれた部分もあるだろう
ただ、どうしてもこのひたすらに悔しい気持ちを抑えることはできなかった。今日は友達と暴れて、このもやもやした気持ちを来年のリベンジへの活力に変えたいと思う。
プロコンを振り返る
ここからは、プロコンを終えて沖縄に帰ってきてから書いている。文の雰囲気が変わるかもしれないが許してほしい。
なお、このブログでは時系列順にあったことや反省点を話していきたいと思う。
チームの結成
正直いつだったか記憶にない。Paper見直してみたら2月ごろのアイデア出しのまとめが出てきたので、そのころにはアイデア出しを始めていたことが分かる。
消えたアイデアが山ほどあってとても悲しい気持ちになったが、来年に活かせないかなぁなんて考えている。
あと、完成に程遠かったころのプレゼンの添削がプロコンの7日前になっててとても恐ろしかった…
予選を通過する
その後、デッドラインに引っ掛かっているか、いないかというタイミングで教授の手が入りながらも、どうにかアイデアが出た。
ひぃひぃ言いながら新聞記事や素材を集めて、びーまか先輩がどうにかこうにか企画書を作りあげたのは鮮明に記憶に残っている。
企画書提出が終わった時、プロコン組のどのチームにも、予選で落ちるんじゃないかという空気感が漂っていた。
特にさやえんどうは、全員が普通に落ちると思っていたのではないだろうか。
だが、結果は良い意味で予想を裏切った。プロコンの全チームが予選を通過したのだ。
加えて、その後PCK組も予選を通過し、全チーム予選通過という快挙を達成した。
そんな喜ばしい空気のなか、さやえんどうは手放しで予選通過を喜ぶことができなかった。
うみまもるは水中音響通信を用いたシステムであり、企画書通りに再現することは非常に難しいのが現実だったのだが、審査員の評価は違った。
予選通過時の評価は全体で10番以内に入ったことを示す「A」評価。
さらに、他のチームが11~20番であることを示す「B」評価であったことから、沖縄高専の3つのチームの中で最も評価が高いシステムであった。
コメントの中には、「実現は難しくないと思われる」「実現可能性は高い」などのコメントが多く、チームの4人で審査員は何を見ているんだなどと文句を垂れていた。
開発
企画書が予選を通過したということは、しなければならないのは開発だ。
結論から言って私はきちんと開発に参加することができなかった。
機能を実装して、それを動かすメインコードを書いていなかったのだ。開発が初めてで、そういった基本がきちんと分かっていなかった。
Java先輩に仕事を投げつけたときには何もできてないってキレられた。
私の主観だけからいえば、もう少し色々と教えてくれても良かったのではと思いはあるが、自分から聞きにいかなかった時点で自分の責任だ。
次回以降はきちんと自分がしていることが、どの程度の段階なのか、今からどの段階に持っていけば良いのかをきちんと確認して開発をしたい。
あと、私がこの状況に陥った原因としては、びーまか先輩が言っていた「リーダができなかった」や、終わった時に教授から言われた「極度の縦割り」なども一因だろう。
来年以降、自分がリーダをしていても、していなくてもここは気にかけたいなと思う。
プレゼン
お話変わってプレゼンの話になるんですが、合宿のころ辺りからびーまか先輩にプレゼンターやってみたいという話をしていました。それがきちんと決定したのがプロコンの3週間前くらいだったはずです。それだけなら「プレゼン初挑戦頑張ってな」で済んだはずなんですが、なんと他のチームメンバーへの報告が1.5週間前。Java先輩に怒られた。とても妥当な説教を食らったので、来年はここら辺の話は裏から手を回すでも良いから早めに話したい。
ただJava先輩は説教しながらも普通に許容してくれたし、投げ出した開発をどうにかしてくれたし、びーまか先輩にはプレゼンをとても助けてもらったしで、とても良い環境でプレゼンの準備をさせてもらいました。結果はついてこなかったけど、良い経験をさせてもらいました。
あと私がプレゼンをすることになんにも言わずにGOサインを出してくれたM教授、何の義務も利益も無いのにお手伝いをしてくれた妖精部門のりし先輩、なんだかんだ沢山のお手伝いをしてくれたあっちー先生。本当にありがとうございました。
来年プレゼンするかはわかりませんが、プロコンには出るので今年の経験は120%活かさせてもらいます。
プロコン当日
0日目
まず書かなけれないけないのは、那覇空港に待合所にスマホを忘れたこと。詳しくはネタ部門の方に書いたので詳しくはそちらを見てほしいのだが、来年以降も語り継がれるのかと思うと少し頭が痛い。*1
無事(?)スマホを忘れ、飛行機に乗り込み鹿児島へ飛び立った。飛行機の中では寝不足等々であまりプレゼンは触れなかったが、教授が大幅に添削をしてくれた。
割とこの添削を基に本番用の原稿が作られていたりするので大変助かった。ありがとう教授。
あと降りる時の揺れがすごくてウエハラが完全にグロッキーになってたのは記憶に残ってる。
鹿児島に到着してからは宮崎までバスで移動。バスで作業すると秒で吐くのは目に見えているので大人しくバスから見える景色を楽しんだ。高い場所に行っても海が見えないこととか竹林があることに一同感動しながら宮崎まで移動した。
私は寝不足もあって途中から少し気分が悪くなったので寝た。目が覚めると窓から見えるものが、田んぼからスーパー銭湯になっててビビった。
そんなこんなで泊まる旅館に到着。着いてそのままミーティングへ。部屋の大きさ的な問題で、さやえんどうの部屋がミーティング用の部屋になってしまう。言わずもがな2回目以降のミーティングではクッソ汚い部屋を晒すことになった。
ミーティングの後はお昼ご飯。私とびーまか先輩以外の3名はイオンへお昼ご飯を食べに行った。私とびーまか先輩はプレゼンの諸々をしたかったため、3名におつかいを頼んで部屋に残った。しばらくして帰ってきた3名は濱カツのカツ弁当を買ってきてくれた。とてもおいしかった。
この時、私たち2人以外のプロコンメンバーは(多分)外に食べに行っていて、意外とゆるゆるで楽しいなと思ったのを覚えている。
その後、しばらく作業をして夕食もおつかいを頼んでお部屋で食べた。びーまか先輩が寿司を食べきれなくて残したのが印象的。あとこの間に生えた大量のハイライトはびーまか先輩がまとめているのでそちらを見ることをお勧めする。*2
夕飯を食べ終えてからはひたすらに原稿を書く作業。パワポをびーまか先輩に丸投げしてしまったのは大変反省している。
1時くらいに原稿が(一応)完成したので先輩に言われて唯一布団で就寝。したはずだったのだが、実はずっと寝れなくて起きてた。慣れない環境と、ストレス、あと普段スマホでYouTube見ながら寝てるのにスマホを沖縄に忘れたなどが原因だろう。アホ。
結局3時前ごろに寝たはず。
1日目
その後びーまか先輩に頼んでた5時のアラームで飛び起きる。圧倒的寝不足と起きなければいけないという圧迫感からめっちゃ勢いよく起きた。心臓バックバクだった。そのあと6時まで半分寝ながら少しずつ頭を起こす。この時びーまか先輩がパワポを完成させてくれていたので、朝ご飯を食べてからはずっと原稿を覚える作業をしていた。一応開会式には行った。行かずに練習したほうが良かったかもしれないが、自分がプレゼンする場所を把握しておきたかったことと、自分の中でスイッチを入れたかったので開会式に参加した。
開会式の後は、ホテルに戻ってプレゼンの練習をした。能力的にプレゼンターの中で一番やばかったし、プレゼンも準備が十分とは言えなかったが、一番余裕があったんじゃないかと思う。(実際どうかは分からないが)
多分自分の中で、失敗しても賞が遠のくだけと割り切っていたのだろう。(チームには失礼な話だが)
プレゼンをさせてもらって分かったが、ここがある意味私の強みなのかもしれない。
先にプレゼンをしに会場に向かったウエハラを見送りつつ、ぶつぶつと部屋で原稿の内容をつぶやきながら練習を繰り返す。この間に何度か2tfが部屋を訪れる。この話はさやえんどうハイライトに書いてあるのでそちらを見てほしい。
あと日曜日だったので、仮面ライダーが放送してないかなと思ってテレビをつけたらやってなくてビビった。宮崎の子供は仮面ライダーを知らずに育つのか…
そんなこんなで時間がきたのでPCをもって会場に向かう。この時の心境はうろ覚えだが、不安を無理やり押しつぶしたみたいな感じだった気がする。
会場についてしばらくはベンチで練習していた。1.5回くらい通したところで時間が危なくなってきたので移動する。どこに行けば良いのか分からなくてチームメンバーのところに行ったが結構あたふたしてたので、ウエハラと一緒にどこに行けば良いのか迷った。この時ウエハラはすでにプレゼンが終わっていて、かつ成功したらしく晴れやかな顔をしていた。プレゼンの順番が逆じゃなくて良かったなと思う。
そんなこんなで会場のホールにたどり着く。緊張と不安と戦っていたけど、あまり外には出ていなかったんじゃないだろうか。外に出したら中から崩れるのは分かっていたので、外だけでも強気な姿勢を保っていた。孤独な戦いって感じでなんかかっこいいなぁみたいなことを考えていた記憶がある。
逆にあれだけしんどそうにしながらプレゼンをきちんとこなすウエハラは、とてもすごいなと思った。プレゼンに向かう時にびーまか先輩に泣きついてたウエハラと、完璧なプレゼンをしたウエハラは別人なんじゃないかとすら思う。本当にお疲れ様でした。来年のプロコンもプレゼンターをするだろうし、ビジコンにも出ると聞いたので、同期の端くれとしてもっともっと成長してほしいなと思います
それとあと一人のプレゼンターであるるいコ先輩は、待っている間の飄々とした姿を見て流石だなと思った。「あっぷるもんぶらん。」で見ていた時はプレゼンの前にしんどそうにしていたのが記憶にあるので、相当の努力したんだろうなと思った。自分のプレゼントが終わってすぐに出てしまったので生では見れませんでしたが、5年間の集大成とあってさすがでした。ベトナムでも頑張ってください。沖縄から応援しています。
話が逸れてしまったが、私のプレゼンに話を戻そう。
壇上に登ってPCの接続テストをして、壇上横でしばらく待ったあとすぐに呼ばれた。そのままPCを接続してプレゼンを始めた。今でもその時の緊張を覚えている。現にこの文を書いている手は少し震えている。
プレゼンを初めて最初のほうは焦って早口で話してしまったが、話しながら少しずつ平常心を取り戻して、だんだんとゆっくり話すことができるようになっていった。
途中で何度も噛んでは焦ったが、なんとか話すべき内容を話しきることができた。
質疑応答では、予想されてた質問がほとんどだったので落ち着いて答えることができた。
あとからmito先輩からはもうちょいマイナス面は黙ってても良かったかもと言われたのでそこは反省点。
正直ここからの1日目終了までの記憶がない。
他のブース周ったりうちのブースに来た人とお話した気がする。
今年はプレゼンとデモで精神すり減ってほとんど話せなかったから、来年はもっと積極的に話したいな。
あとこの日はプレゼンが終わった解放感で、宮崎来て初めて外食した。
この時誘った1年生女子組と少しだけ仲良くなれた気がする。
部屋に帰ってきてからはプレゼンが終わった解放感と疲れからテンションが壊れていた。
メタモンの歌みてにやにやしてたたら、Java先輩に「黙ってるだけで1番狂気」って言われた。
あと無駄にテンションが上がっていたびーまか先輩と私は仕事も無いのに結構遅くまで起きてた。馬鹿だね。
2日目
2日目はびーまか先輩とデモで話す内容を軽く決めて会場に向かった。
連絡会が終わって設営をしたところで、アクシデントが発生した。
うみまもるが動かない
チームに一気に緊張感が漂った。
何が死んでるかも分からいなかどうにか動くようにと技術版が試行錯誤する。
結果的に分かったのはサーバが見たことのない死に方をしていること。
Jaba先輩が必死に復旧しようとPCを操作し続ける。
デモの時間が近づいてくるのを感じながら、全員が焦っていた。
だが決死の努力もむなしくデモの時間が来てしまう。動かないシステムを前に、説明をしたがもちろん反応は良くなかった。システム自体に欠陥が多いうえ、動かないとなると審査員の顔が終始暗いのも当然だろう。
最終的にその後きたマニュアル審査も2度目のデモでもサーバが生き返ることはなかった。
2度目のデモ審査が終わった時に、つらそうな顔をしながらスッとその場を離れたJava先輩をみて心が痛んだのを覚えている。
そのあと会場を出るまでのことはあまり覚えていないし、あまり思い出したくもない。
多分冒頭の文が当時の心境を鮮明に表していると思うのでそっちを見てほしい。
会場を後にしてホテルに戻ってからはピザパーティーをしてずっとマリテニをしてた。
こっちはハイライトの方に詳しく書いていたはず。
3日目
神社に行って公園で遊んだ。バスの中でびーまか先輩とずっと反省会をしてた。以上。
あとn日ぶりにスマホと再会できた。
ごめんな私のiPhoneSE
総括
今回のプロコンは自分の中では30点。プレゼンにしぼれば50点といった感じ。
正直他のプレゼンター、チームが褒められているなか、あまり褒められなかった悔しさが多少ある。
ただ本当に悔しいのは、「開発にちゃんと参加できなかったこと」「スライドを作るのを投げ出したこと」「プレゼンできちんと伝わるしゃべり方ができなかったこと」「質問を完璧に答えられなかったこと」「チームとしてまとまれなかったこと」「チームで賞が1つも取れなかったこと」
こういうことが悔しかった。
この悔しさは来年に必ず活かしたい。
最後に
今回のプロコンで悔しい思いをしたし、チームにもうまく貢献できなかった、それでも私は自分に「あなたは頑張った」と胸を張って言いたい。
以上、「高専プロコンでふんどした #procon30 参加記」でした。ありがとうございました。
【検証】沖縄にスマホを忘れるとどうなるのか? #procon30参加記(ネタ編)
/*後ろでこれを流すと良い感じになるかも(?)*/
https://www.youtube.com/watch?v=geVDrEMpQd0
私はふんど。どこにでもいる普通の高専2年生だ。
そんな私がプロコンに参加することになったのだが、空港にスマホを忘れて大変なことになったので記録しておきたい。
1日目
・スマホを忘れる
プロコン会場に向かうため、空港へ向かった私。シナリオもできていない状態で保安検査場を通り、やばいなぁと思いながら待合場所でシナリオを書いていた。周りに荷物を置き、PCを膝に置いてシナリオを書いてのだが、これがあだとなった。
しばらくして、飛行機に乗り込む時間になった時、私は呼ばれてもギリギリまでPCに張り付いて作業をしていた。
そのあと、せかせかと片づけをして飛行機に乗り込み、荷物を上の戸棚に置き、飛行機の椅子に座ってスマホを機内モードにしようとしたときに気づいた。
「スマホがない...」
ズボンのポケットから、鞄の中とポケット、座席のポケットまでありとあらゆるところを探してもなかなか見つからないスマホ。見かねたCAさんが「お忘れ物ですか?」と声をかけてくれたので、スマホが無い旨を伝えると、「こちらで探しておくので、鹿児島空港に着いたら、忘れ物サービスに連絡をしてほしい(意訳)」と言われ、私はスマホの所在が分からないまま鹿児島空港へ飛んだ。
・鹿児島空港の係員に声をかけられる
飛行機の中で生えないシナリオと格闘しながら、1時間強ほどで鹿児島空港に到着。飛行機を降りたところで、担当教員が係員に呼ばれていることに気づいた。内心なんとなく言われることを察しながらそっと後ろからついていくと
「○○(本名)様のお忘れ物の件なのですが...」
と切り出され私はすべてを悟った。
「スマホが見つかりましたので、沖縄にお帰りの際にANAのカウンターの方に寄ってもらってもよろしいですか…?」
「もちろんです…ごめんなさい…申し訳ない...ありがとうございます…」
圧倒的な醜態をさらしてしまった。
2,3日目
・Twitterが観測できない
シンプルにTwitterが観測できなかった。とはいえプレゼンターだったり、デモでお話をしたりとかなり忙しかったので、暇になることは多くなかった。
ただ、日中のツイートがかなり減って、リアルタイムなプロコンへの感想は私の頭の中から虚無へと流れてしまった
・寝るのに苦労する
私は普段寝る時にスマホで動画を流しながら寝るので、眠りづらかった。特にプレゼンの前日はなかなか寝付けなかったので、出来る限りいつもと同じ環境下で寝るというのは大事だなと感じた
・通知の偉大さを知る
連絡が来てもPCでしか確認できないので、PCを閉じている間は全く気づけない。外出中の連絡は、スマホの通知に大きく頼っているんだなと実感した。
やはり技術は偉大だ。
・他人に連絡をお願いすることが増える
当たり前だが連絡手段が乏しくなるため、他の人に連絡をお願いることが増えた。同時に人間意外と連絡を頼まれても後回しにすることと、連絡ができて無くてもどうにかなることが分かった。(ちゃんとホウレンソウしましょう)
4日目
・写真が撮れない
4日目は観光だったので、霧島神宮と大きめの公園(?)を訪れたのだが、写真が撮れなくて悲しい気持ちになった。もともとiPhoneSEなので画質は大したことがないのだが、行った証すら撮れないのは悲しいものがあった。
・飛行機の放送で呼ばれる
鹿児島から沖縄への飛行機が着陸した際に
「○○(本名)様。連絡事項がありますので、飛行機から降りた際に係員にお声がけ下さい(うろ覚え)」
と放送された。周りにめちゃめちゃ笑われることとなり、しばらくは○○(本名)様と呼ばれそう。
スマホで始まりスマホで終わるハイライト。おあとがよろしいようで(やけくそ)
・ふんど賞が創設される
その後、Twitter引率教員からこんな発表があった。
ICT委員会はこれから最優秀ハイライト賞として「ふんど賞」を創設します
— M教授 (@m_kyoujyu) October 15, 2019
これで私もICTレジェンズの仲間入りですね。
追伸
近いうちに真面目な参加記を書きます。
書いたようにプレゼンターをしてみたりと、色々あったプロコンだったのでしっかり描きたい。
ICTにボケしかいなくてつらい人になっている
お久しぶりです。ふんどです。
毎回お久しぶりと言っているの良くないなとは思ってますがまぁ今後も変わらないでしょう。
あ、そう。この記事n年前のマジックキーボードで書いてるんですよ。相性が良くて大変良いのですがFnキーが見当たらず悲しい気持ちになってます。私は頭がよろしくないので見たものを認識できていないかもしれないので知ってる人は教えてくれると嬉しいです。
本題の前に
さて本題ですが、と行きたいところなんですがその前に少しお話をば。
先月のX-techをもってあっぷるもんぶらん。の活動が終わったのでそれの反省点を簡潔に
・何もできんかった
・意識低い低いだった
・加えてコミュ障した
・チームへの質問が足りなかった
総括としては全体を通して戦力外もいいところだったので次はベンチ入りくらいはしたい。以上
本題
やったね本題だよ。
まぁ本題って言っても大したことではなく最近の私の状態を過去の私に残そうというそれだけなんですが。
最近はプロコンに向けてのアイデア出しをしていて、無論チームメンバーと会話する機会が爆発的に増えるんですけど、そのチームメンバーが問題でして、「java先輩」「びーまか先輩」「きしもん先輩」なんですね。最初はいいチームだなぁなんて思ってたんですがいざアイデア出しをしてみるとですよ、
ツッコミisどこ
java先輩は日に日に壊れていくし(本人曰くそっちが素)、びーまか先輩は常に爆笑してるしで大変ですよえぇ。
特にjava先輩はひどくて壊れて「爆発する」しか言わなくなるは、爆笑してるびーまか先輩に油を注ぐわで状況を悪化させることに注力しているし、挙句の果てにはセクハラですよ!?マジで委員長に訴えたほうが良いのかもしれん。
まぁその委員長も状況を悪化させる一因なんですよね。(他人事だと思いやがって)
アイデア出しの間は自分のチームの方で真面目にアイデア出ししてるからいいんですけど夕飯の時になると、java先輩側についてびーまか先輩を笑わせにかかります。
そんなことをしているうちに笑わせ方を覚えて散々笑わせるもんだからそれのツッコミするのも私ですよ。
加えて四方八方からICTのボケ(ほぼ全員)からボケが飛んでくるんですよ。
そりゃウェイソイヤ!wとかしか喋れなくなりますよね。
まぁ大会頑張ります(雑なまとめ)
最後に
疲れに疲れを重ねてくるICT好きだよ()
まぁ私にボケを投げるだけでストレス解消できるならいくらでも投げてくれ。これはマジで。
あとウェイソイヤが再流行の兆しを見せているのは私のせいですごめんなさい。
相変わらずの日本語ですが、以上「ICTにボケしかいなくてふんどした」でした。
今年の振り返り
どうもふんどくんです。
書き始めから遅刻する予感がしていますが日が変わる前に投稿することのできたこの記事はICT Advent Calendar 2018の20日目の記事です。
昨日はバター君がハードルを上げてくれました。
それと最近ICTに入ったハラショー先輩も書いています。qiitaで書くあたりがプロですね。あとぜひ爆発してほしいです。
https://qiita.com/HARASHO0103/items/621a4ccb560ef752d7ad
今年の振り返り
まずは今年の振り返りから。
一言でいうととても楽しい一年でした。
「HelloWorldって聞いてことあるぜ卍」から関数や配列を活用した簡単な数当てゲーム(バグは取れていないが)を作れるぐらいにはなりましたし、普通校に行っていればまず会わなかったような先輩達とも関わることが出来ましたしとても楽しかったです。
特に先輩たちは話していて面白い人が多いのでよくウザい後輩になって絡みに行っては、仮面ライダーだったり、就活だったり、大会だったりと色々な話を聞かせてもらいました。ウザいと思ってた先輩方には土下座したい。
まぁそんな感じで全体的にはとても楽しく過ごした一年でしたが最後の方は無力さを感じることが多かったです。
いくつかのチームでいくつかの大会に出させてもらったのですが、その中で自分があまり役に立っていない事を何度も痛感しました。
特にあっぷるもんぶらん。では大きな大会で入賞させてもらい、様々な方とお会いする機会がありましたが、その都度今まで私が見ていたものと全く違う世界を見せられ、そのたびに無力さを感じました。
特にX-Techでは実際に事業を展開しているような方々とお会いし、お話しさせてもらう中で、プロの息吹を感じて果てしない無力感に襲われました。
そんな私ですがまだあっぷるもんぶらん。での活動はあるのでめげずに頑張ろうと思います。
展望の話
来年は大会に技術面から参加できるようになりたいなというお気持ち。
具体的にはAR,VR,MRのどれかを使って自分が作ったの物と言える物を作りたいと思ってます。上手くandroidと組み合わせて大会出ないか~みたいな話を某人とお話ししてたりもしますが、それよりも先に賞金でVR機器(MRもできなくはない)を購入して色々と遊びたいなと思ってます
まぁ色々遊ぶためにはまずUnityのお勉強ですね。ポテト銀髪美少女先輩が講座を開いてくれるという噂があるので全力ですがりに行きます。
とりあえず今は自分が作ったと言えるものが欲しいというお気持ちが強いのでの来年の私に課す鎖は「何が何でも何か一つは作る」です。逃亡したら捕まえてほしい。
それから来年は精力的に活動しておられる先輩がかなり卒業してしまうので、悔いのないように全力で絡みに行きたいと思います。
あと来年もまったりりし先輩を推していきたいです。
そんな感じで来年も全力で学校、ICT共に楽しみたいです。バイトはやめたい
蛇足
自分の文才の限界を感じたので書きたいことをただひたすら書き連ねる項目を用意したじぇ
・年賀状出したいんだけどみんな住所をくれませんか
・最低賃金でいいので楽なバイトを探しております
・合宿とか時間が取れる時にICTで何かバラエティ的なイベントしませんか
・スマブラ発売されてから忙しいんですけど呪いですかね
・最近メイクちゃんとできる人ってすごいなって思ってます
・ICT楽しい(小並感)
まとめ
今年はICTでとても色々な体験ができて楽しかったです。来年は飛躍の年にできるよう楽しみながら一層頑張りたいと思います。どうぞ皆さんよろしく。
そんな感じで文章の節々から限界日本語が感じられる文になってしまいましたが以上「今年を振り返りつつふんどした」でした。
明日はICTの唯一神ことmito神です。mito神も来年卒業してしまうので全力で絡みに行こうと思います。
ビジコンを振り返る
お久しぶりです
ふんど君です
前回、次の更新はバイトを辞めた時と書いたら、辞めるどころか次のバイトを始めていて世の中分からんもんだなって感じです
ちなみに今のバイトは楽ですが、覚えることが多くてなかなかに大変です
さて、本題ですがタイトルの通りビジコンで役に立たなかった話をしようと思います
まだ二次予選が終わった段階なのにかよって感じですが、あまりに私が何もしてなさ過ぎたので反省と懺悔をここに連ねます
そもそもなんで何もしてないのかって話ですが、今回のに関しては何も"しなかった"というより何も"できなかった"というのが正しい気がします
もちろんもっと頑張れた部分は多々あると思いますが、それをはるかに上回る技術とセンスと才能と経験の不足を感じました
ウエハラの発表のカンペやスライドを見ているとこの中に私のスライドやカンペを入れるのもおこがましいなと思い、まいたけ先輩の情報収集や計算を見ていると私がやるだけ足を引っ張るなと思い、そんな感じでふてくされながら何もできずにいました
そんな自分を見返して見えた課題は二つです
一つは技量。この大会で必要とする技量は経験が物を言うタイプのものだと思うので、二次予選の結果の出る11月の頭までにできるだけの経験を積む。
具体例を挙げればLT大会用のスライド作るとかです。
付け焼き刃なのは目に見えているけど、何もしないよりはマシだろうという感じなのと、今後似たような大会があった時に活動を少しでもしやすくするために
二つ目はふてくされて簡単に逃げてしまうメンタル。出来ないとしてもやるといった精神があまりにも無かった。役に立たないと思っても体調崩してるリーダーに任せるわけのはさすがにね…
ちゃんとできないなりに発狂しながら足掻きたいくべきだなと思った
とりあえず11月の結果通知まではこの2つ課題と見つめ合いたいなと思ってます
なんかふわふわした文章になってしまいましたが、最後に上手く文にできなかった3つの言いたいことを
・高専祭とテストとビジコンとでやばそう(小並感)
・2次予選通ってますように!
・ウエハラとまいたけ先輩(主にウエハラ)ホントにごめんなさい!
以上、ビジコンで役に立てなかった自分にふんどしたでした
現実逃避している自分がつらい
どうも。こちらではお久しぶりのふんど君です。
そろそろテストも近いですね。
皆さんはちゃんと勉強していらっしゃるでしょうか。
私は夏休みが楽しみです(支離滅裂な思考・発言)
さて久々にブログを書いてるわけですが。まぁブログを書くということはネタができたという事の裏返しな訳で、そのネタについてお話します。
まぁ簡単に言うと前回さんざん言っていたバイトが見つかりました。これでお金が増えるよやったね。
まぁただここまで来るの中で、一回面接落ちたんだけどね。世の中世知辛いね。
そんなこんなで初バイト。緊張しながら5時間働いて、初バイトをを終えた感想は
「あー、はいはい、そういう感じね、なるほどなるほど、うんうん、あー、理解理解、はいはい、そういう感じなのね、うんうん
これ私に合ってねぇな」
はい。辛い。なぜ世の中はこうも世知辛いのか。
多分これ仕事することが合わないんじゃなくてこのバイトが合わないような気がする。
おかげさまで、りし先輩がニートになりたい気持ちが前日比5倍くらい分かりました。本当にありがとうございます。
まぁそんな経緯で最近辛い気持ちになっている私ですが、バイト関連で面白いこともあったのでぜひお話ししたい。
「ある日、バイトの契約で住民票が必要だと言われたふんど君、バスで名護市役所まで住民票を取りに行きました。
予定通りに住民票を取り、意気揚々と帰ろうとするふんど君、実は手持ちのお金がもうありません。
ですがふんど君。出る前にお金が足りなくなるとを分かっていました。
なので事前に調べておいたコンビニへと行き、お金をおろそうとします。
賢いですね
さてここでふんど君あることに気が付きます。
_人人人人人人人人人人人人人_
> キャッシュカード忘れた<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
そうしてバスで帰れなくなったふんど君は、「歩いて帰るしか無いやんけ草
」と言って12km歩いて高専まで帰りましたとさ。
めだたしめだてし」
めでたくないよ。限界でしょこれ。頭悪すぎんよ。
まぁそういう経緯で何の用意もせずに山の上り下りを12km歩きました。
よくもまぁ「歩いて帰るしか無いやんけ草」とか言って生還できたよな。
よくよく考えたらここでバイトが合わないフラグが立っていたのかもしれない。
さてこのブログは以上ですので総括を。
1.始めたからには一応バイトは頑張ります。
2.早くプログラミングのバイトができるレベルになりたいです。
もしくは教えるの好きなので家庭教師とか。
だれか恵んでください(懇願)。
以上、現実逃避している自分にふんどしているでした。
次の更新は今のバイト辞めた時ですかね(白目)
ブログを開設した
ブログを始めるにあたって、まず初めになぜこの時期に唐突にブログを始めたかという話をしなければいけないだろう(使命感)
話は最近やっている夏休みのバイト探しから始まる
最近買いたいものがいくつかある私は、そのために夏休みにバイトをしようと考えていている
そのために夏休みにやるバイトを探しているのだが、なかなかいいのが見つからない
なんで?
まぁそれは置いておいて、その時に高専生が対象のバイトが無いものかとやけくそで検索をかけたのだが、そこでたまたまM教授のブログを発見した
こんな大雑把な検索なのにピンポイントで沖高専に関する記事が出てきたのはクッキーの影響でもあるのかな?
無いですねはい
まぁそんな経緯でM教授のブログに出会った私、Twitterとは違った面白さがあるなと思いつつ読んでいたが、ブログの中で推しであるりし先輩ブログを見つけた
りし先輩のブログがあると聞いたことはあったがまさか実在したとはなぁ(アホ)
そんな感じでりし先輩のブログを読んだのだが、ホント読んでいて驚くほど面白かった
ホントに驚いた
理由としては、要点を抑えつつも楽しそうな雰囲気や、いつものりし先輩の雰囲気がでているのに加え、長文にも関わらずすらすら読める文章、きれいなデザイン、etc...
天才かな?
あと今書いてて思ったのは、最初のお題みたいなの書いてそれぞれに飛べるようにするやつとか、デザインどうやってるの?HTML?CSS?
実際そうならそんなことまでしてるのか…
ホントに頭が上がらない
まぁそんなりし先輩のブログに感銘を受け、始めたブログです
HTMLはほとんど分からんけど必要になったらHTMLやりたがってた同級生のUさんにでも聞くとしよう
そんなこんなで書いたブログだが公開までこじつけるのは大変だった
いやマジで
まぁ苦労話は話す方も聞く方も楽しくないのでまた今度何かしらの機会に直接きいてくれ
さてこの記事はここで終わりなのだが最後に一言
拙い文章とデザイン等一切されてないブログで申し訳ない。一年後には進化してるはずなのでそれまで待って
以上、ブログを開設してふんどした話でした